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魅力学®のススメ

あなたを磨く、世界が輝く、魅力学®のススメ

祝日は何を祝うの?パーティ、忘年会、に忙しくても、ふと立ち止まって考えてみて欲しいこと。

マインド

12月に入ると、町はクリスマスモードですね。

 

私は多宗教多民族多文化のNYに18年暮らした経験から、この時期には、「クリスマス」という言葉は、あえてほとんど使わず、「ホリーデー」という言葉を使うことにしています。

 NYに長く暮らし、どうも、日本のクリスマス気分に違和感を感じてしまい、子供たちとも、本当の意味の、クリスマスや、ホリデースピリッツという話しをします。



クリスマスに限らず、宗教的な行事とか、まあ、日本人ならお正月とか、お雛様や子供の日でも良いんですけど、祝日の意味ってなあに?と思うわけです。

それは、「感謝」と言うことばに尽きるかな、と。

 

家族で健康に一年を終えられたこと、クリスマスなら、神とイエス様の愛に守られてる事に感謝。お雛様も子供の日も、子供を授かった感謝、そして健康に生きてくれることへの祈り。

 

祝日って、自分の存在、親の存在、子供の存在、周りの愛する人達への存在に感謝する日というように思います。

 

パーティしたり、恋人と過ごす事!がメインの行事になっていて、それを出来ない人はみじめ~とか、「忙しくてそれどころじゃない!」とか、なんだか変だなあ、と感じる訳です。

 

パーティに行かなくても、大事な人がいなくても、忙しくても、ふと立ち止まって、「自分が今ここにいる事」に感謝してみる。


アメリカだとこの時期、相手の宗教に配慮して「メリークリスマス」ではなく、「ハッピーホリデー」と声をかけます。

 

何度か、「あなたはクリスマスを祝うの?(キリスト教なの?)と心配りしてくれたアメリカ人を思いだす。

それぐらい、本当は、クリスマスはクリスチャンにとって神聖なもの。そして、ユダヤ教にも、イスラム教にも、アフリカンアメリカンにも、この時期には、祝日があります。

日本人はお正月を、他アジアでは、旧暦の正月を。それぞれが、それぞれが大切にしているものを祝う時期。

 

そういう相手を気遣う思いを、日本にいても、大事にしたいと思うからです。

 

「お互い、今日まで過ごせてきた事、出会いに感謝、また来年も良い年であるように」と、声を掛け合うとちょっと暖かいものが流れて、幸せ気分になります。

 

外国では家族や愛する人への感謝や愛情を伝える日として大事にされているんですよね。

 

クリスマスやお正月を機会に、身近な人にただプレゼントをあげてパーティをするだけではなくて、「感謝や愛情」を伝えてみるのはいかがでしょうか。

 

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NYで9.11を経験し、3.11を経て、愛する人達の若すぎた旅立ちを見送り

 

私達がこうして、何もなく生きている毎日を遅れている事。それは本当に奇跡なのだと思うようになりました。

 

 

貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、

無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ 

 ~エピクレオ、セネカやアイマラ民族に伝わる言葉


私自身はもう、物はいらない、と思うようになって久しいです。欲しいな と思う事はもちろあります。素敵な洋服や、ゴージャスな住まい。

でも、ふと「本当に欲しいか?」と自分に問うと欲しい物はそんなに多くない。

「必要な物」を吟味する

世界の発展が=消費となっていては世界は蟻地獄に落ちていく事になりかねないと感じます。

人が人に少し優しくする事
人が人に少し分けてあげる事

資源や富をより多く自分が抱え込む事ではなく、
どうやったらみんなで分けられるのか。

それには、先進国の成熟した国から始めなくてはならないのでは?

 

そして、それは国レベルではなく、
個人レベル、企業レベルで、スタートしていく事が大きなムーブメントとなる。


あれば幸せ、無くても幸せ
あったらもっと幸せ、
なくてもやっぱり幸せ。

幸せは所有とは別の所にあると、気がついて欲しいなあと、このシーズンは特に感じます。

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この世に生を受けた自分、生かされている自分への感謝は、神とか天地創造主とか、呼び方はどうあれ、大いなる宇宙の力のようなものに感謝したい、

 

この奇跡を感謝すれば、生きる事に苦しみなど無いのかもしれないと思う。

 

ホリデーの時期は、パーティよりも、そんな事を考える日々にしたいと思っています。


魅力人でいこう!