魅力学®のススメ

あなたを磨く、世界が輝く、魅力学®のススメ

ありふれた自分のままでいい

ああ~~そうだったのか?と思うような気づきがあり思わず声にだしてしまったので、書いておく。


自尊感情は低くないし、自己価値評価も低くないと思ってるのですが、自分を褒めてくれたり、自分を慕ってくれたりする人を、受け入れないという傾向がありました。 私にはそんな価値はないから、あなたをサポートは全力でしますが、私にはお返しはいらないのよ。という感じ。

 

つまりは、他己評価を低く見ていて、それは謙遜のように見えるのだけど、実は、他人からの愛情を拒絶していることになるのだ、ということに気づきました。

 

では、そうさせている自分の感情の本当に理由はなんなのだろうと、このところ考えていました。


知らず知らず自分が固執している「価値観」ってなんなのかな、と。

今朝、はた、と気がつきました。

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私の親はたぐいまれな才能で、10代の頃からマスコミに注目され、玉の輿婚とマスコミにはやし立てられるようなシンデレラストーリーを実現し、私を生んだ頃には、マスコミにもよく取り上げられるカリスマ美容家でした。

 

昭和に一つの伝説を残した祖母、そして、両親の価値観には、世間的に認められる(とくにマスコミにおいて)またはビジネスを大きく出来る人は価値がある人だというような価値観があったように思います。

 


よく言われた言葉は「あなたにも、必ず特別な才能がある、きっとやる気になれば、人とは違った魅力を発揮出来る」というような言葉でした。

 

それは、親が子供に期待し、無条件の信頼を与える言葉であり、学歴や仕事の種類にはなにもこだわらない親の懐の広さには感謝していますが

逆を返すとそのままのあなたではまだまだ足りないというメッセージでもあったのです。

 

学校は玉川学園。個性尊重の校風です。

 

算数ができなくても、かけっこが出来ればいいじゃないか、国語ができなくてもピアノが弾ければいいじゃないか、英語ができなくても、畑が耕せればいいじゃないか。

 

と、個人の特性を伸ばす、という意味では素晴らしい教育ですが、逆を返すと、なにも得意がない子供はどうするの?という、答えをくれることはなかった。

なにか見つけなさい!という考え方でした。

 

この二つの価値観から、私は自分がなにか「特別の才能を持った特別な人であること」を目指してきました。

 

ところが、どの分野においても、自分がすこし人よりうまく行ったとしても、もっとうまく出来る人はいるわけで、ある段階において、評価されたとしても、それをよしとして受け入れることが出来ないでいたのです。

 

結果、評価や褒められたり、または誰かに愛情を向けられても、「こんな状態ではまだまだな自分だから」との想いが強く、それらを拒否してきていました。

 

10代に抱えていた身体的コンプレックスは克服できて、そのままの自分を愛せるようにはなったものの、他人からの愛を受け入れられずにいたのです。


今朝の気づきは、こうでした。

 

なにものでもなく、特別な才能も、輝いている人でなくても、ありふれた、当たり前の自分のままで良いということ。


妹の死を通じて、命の大切さを知り、魅力学を通じ 命の価値があるから、一人一人は尊いと語ってきました。だから、自分の生き方には迷いがなかった。

 

でも、対人関係において、自分が他者からもそのままの私で愛される存在だと言う事を、自分が認めていなかったのだ、ということに、今朝気がつきました。

自分で自分を愛することがまずはスタートです。
そして、他人が自分を愛することを受け入れること。

宇宙に対してはできていたのになあ。「あるがままにおまかせ」の境地。



言葉がうまくまとめられないですが、今日の気づきを残しておきます。